『その後』の剣心について Category:未選択 Date:2015年08月13日 『その後』の剣薫が、自分の中でどうかという話です。 私は、好きなカップル的にはよく妄想もするしえろい話ばっかり考えたりすることもよくあります。が、なんか、不思議なんですが剣薫にかんしてはあまりぎとぎとしたえろが考えられないのです。これは本当に自分でも不思議です。そのカプに入れ込んでいれば入れ込んでいるほど、妄想もつのりつのって際どいところまでゆくのが通常の自分です。 なんでかな~。なんか、基本的に自分が、原作・公式に近しいように考える性質があるからかも知れません。 だって、描いたのは和月先生ですからね。 だからやっぱり私の中の大元の剣心は、和月先生の描いたあの剣心なのです。 自分の中で人物を掘り下げてあらゆる内面まで考えるとき、勿論剣心や薫にも複雑な肉付けをしてます。こんな面もあるだろうしあんな面もあるだろう、長い時間の中でこんならしくない行いをすることもあるだろう、似つかわしくないハプニングも、失敗も、考えられない一面もあるだろう。 けれどやっぱり、それは彼らの内面を想像した時の話であって、表出している態度、表情、言動ややり取りは、最終的には原作の彼らのそれとなって私の頭の中に現れるのです。 言ってることがわけわからんかも。 例えば、激しくラブラブでイチャイチャな彼らが当然好きですし見たいですが、『でもベタベタだと剣薫的にはあまりリアルじゃないなぁ』とも思っているわけです。ただ、彼らの内面がそうであってくれたら、これは非常に私にとって剣薫的リアリティがあるのです。 これは、剣心が愛情表現しないとか、薫に手を出さないとか、薫にときめかないとか、ドキドキしたりはしないとか、そういうことを言っているのでは全くありません。 むしろ逆です。 剣心の内面は、実はすごく上記のようだと思っているのです。 それを表現する方法が、漫画で描かれているような剣心のやり方であってほしいということなのです。 優しく微笑むだけとか、優しく見つめるとか、あんまり焦らずおろ?とか言って誤魔化すだけとか。でもちゃんと、切羽詰まった顔はしないけれど、抱き締めたければ自分から抱きしめるし、手を繋ぎたければ自分から手を差し出すのですよ。 剣心はそれがいいのです。 愛情表現は、ちゃんとあるのですよ。 そこに余裕があるように感じるのは、人生で剣心を剣心たらしめた経験、悟り、諦め、そして実際に年の功でもあるのです。 剣心はちゃんと感動したり愛したり可愛いと思ったり胸キュンしたり寂しくなったり欲しいと思ったり嫉妬したり切なくなったり、たぎったり、しているのです。内面では。 やっぱり彼は年上の男なのです。 とても彼らしいのです。 だからきっと、『その後』、人誅編後しっかり薫と想いが通ったらですね。通ったらですよ。 触れたり、抱き締めたり、ちゅーしたりも、とてもナチュラルに、剣心からしていますよ。 それこそ墓参りの手繋ぎのような感じで自然に。 いつも通り、優しく微笑んでたり、軽口をたたいて薫にどつかれながらだったり、にぱ!みたいな余裕さえ持って、していると思いますね。 だけどもそれは、しつこいようですが、その時の内面も落ち着いている、凪いでいる、制御できる、穏やかである、という訳じゃないと思うよってことが言いたいのです。 対して、気持ちが通じていればそういうこともする、とわかっていてもいちいち顔染めたり、騒いだり、挙動不審になるのは薫の役目です。 と、このように思っているので、 複雑な感情や、薫に対する熱烈な情動を内面に持っていながらも、端から見ると普段通り飄々としているとか、いつものコミカル顔でおろとか言って誤魔化しちゃうとか、笑顔でほんのちょっとだけ嫌味を含んだ物言いをするに留めるとか、『別に変わりないよ』と言いながらもちょっとだけ機嫌が悪そうに見えるとか、 そういう剣心の描写があると、ものすごくものすごくリアリティを感じてしまいます。 そして涙が出そうなほど切なさを感じます。 ベタ甘、意外、衝動的な剣心も、ごく稀には出現すると思いますが、やはり、私は、剣心は薫の側に居ると決めた時点で、そういうところは大まかに超越したような気がしています。 三十路男がこれまで覚悟していた人生の、根底を覆されたのに等しいですから。 PR comment(1)